江南市歴史民俗資料館

歴史民俗資料館は、江南駅から歩いて7分ほどの位置にある江南市民文化会館の中にあり、市内の歴史・文化・民族・農業・社会といった各分野の資料や物を見ることができます。ここではその一部を掲載させていただきますが、是非訪れてみてください。入場は無料で、朝9時から午後16時までやっています。定休日は毎月第3月曜日です。

歴史

「江南市の観光」で紹介している音楽寺から出土した物の一部です。音楽寺付近には早くから古代寺院の存在が推定されており、平成4年の発掘調査によってその存在が明確となりました。この古代寺院は、壬申の乱の際に天武天皇の下で活躍した豪族・村国氏により建立されたものと考えられています。

これら以外にも、下で触れているような戦国時代の偉人に関する書物などがたくさん展示されています。

生活

江南市に住んでいた人の昔の生活を想像することができる様々なものが展示されています。農業に使われた道具や水車の歯車、産業機械など数多くの展示品があり、間近で見ることができます。

竹細工

木曽川の流れが定まらなかった頃、砂地にしっかりと根を張り水の流れから家や田畑を守れるように多くの竹林が植えられました。竹細工の起源は、南北朝時代に東八という人がかご作りを始めたといわれ、昭和初期まで続いていました。

戦国時代の歴史

江南市には現在多くの歴史的建造物が存在しています。中でも戦国時代には数多くの建物が建てられました。江南市では当時、生駒家が栄えていました。生駒家は、平安時代に摂政・太政大臣を務めた藤原良房の子孫で、奈良県生駒市に住んでいました。しかし、応仁の乱が始まって危険な状態となったので、江南市の小折に移住してきます。

ここでは、そんな生駒家の歴史をたどりながら、現在の江南市で見ることのできる建物を紹介していきたいと思います。もし興味がわきましたら、是非訪れてみてください!

信長の室、吉乃

ホームページをご覧の市外のみなさん、正直江南市の歴史について知っている方は少ないと思います。しかし、実は非常に面白い歴史があるんです。生駒家の三代目・家宗の娘である吉乃の方は、織田信長の室(奥さん)なのです。吉乃の方は、信長との間に信忠・信雄・徳姫の三人の子供を産みました。正室は濃姫ですが、濃姫と信長の間に子供は生まれておらず、実質的には吉乃の方が信長に最も愛された奥さんだったのです。そんな二人にゆかりの地を紹介していきたいと思います。

生駒屋敷跡(いこまやしきあと)

小折(江南市南部)に移り住んできた生駒家は、染め物の原料となる灰と油を商う馬借(運送業)で財を蓄え、大きな勢力を持つようになりました。吉乃の方が織田信長の室となり、3人の子供を生み、生駒家は織田家に対して重要な地位を占め、小折に城を構えました。その場所は現在保育園となり、石碑が立っています。生駒屋敷は、織田信長や豊臣秀吉が天下統一への第一歩を踏み出した地でもあり、桶狭間の合戦の奇襲、西美濃責めの戦略はこの地で練られました。秀吉は、幼い頃に生駒屋敷を訪れた際、吉乃の方のとりなしで信長の下僕に拾い上げられたそうです。

神明社(しんめいしゃ)

初代生駒家広がこの地に移住してきた際、守護神として勧請(神仏を迎え入れる事)しました。伊勢神宮と同じ祭神で、お正月にはお守りが販売されるそうです。

廣間家の門(ひろまけのもん)

もとは生駒家の門であったのを、転医を務めていた廣間家が廃藩置県の際に譲り受けた貴重な建物です。正面の壁の六角形の模様は、生駒家の家紋がモチーフになっています。織田信長や徳川家康もこの門をくぐって生駒屋敷に立ち寄りました。一見の価値ありです!

宝頂山墓地(ほうちょうざんぼち)

宝頂山一帯は、生駒家五代・利豊の隠居所でした。利豊は、年老いてから生きながらにして成仏したいと願って断食し、水を飲むだけの生活に入りましたが、望みを叶えることはできませんでした。利豊の死後、六代・利豊はその心情を思い、利豊夫妻を住居にふさわしい石廟(せきびょう)と呼ばれる家の形をした墓を作りました。(写真中央)それに四代・家長夫妻の五輪塔があわせてつくられました。(写真右)

久昌寺(きゅうしょうじ)

織田信長の室となった吉乃の方が葬られています。お寺の名前は、吉乃の方の戒名(仏の弟子となるときに授かる名前)である久庵柱昌大禅定尼(きゅうあんけいしょうだいぜんじょうに)をもとに久昌寺へと変わりました。墓地には生駒家の歴代当主の墓碑が立ち並んでいます。

経塚(きょうづか)

織田信長の室である吉乃の方が火葬された場所です。墓碑のそばには、その際に植えられた彼岸花があり、この桜は、NHK大河ドラマ「信長」の吉乃の方を演じた女優高木美保さんが、平成四年にこの地を訪れた際、吉野桜と命名されました。


龍神社(りゅうじんじゃ)

生駒家の氏神であり、また織田信長と吉乃の方の子である織田信雄の守護神でもあります。境内社として知恵乃文殊社と源太夫社の二社があり、太平洋戦争頃まで続いた五穀豊穣の祭りは、奉納馬を走らせる盛大なものだったそうです。

本尊の文殊菩薩は知恵をつかさどる仏で、願い事三回唱え、望み紐に願い事を書いた紙を縛り、日参を重ねると、文殊の知恵が授かり、学業成就・出世間違いないと言われています。受験前に是非訪れておきたい場所ですね!


富士塚(ふじづか)

富士塚は高さ7m程の前方後円墳で、古墳時代の埴輪や須恵器、土師器(はじき)

などが出土しています。小牧・長久手の戦いの際に、東軍の大将である徳川家康が織田信雄と富士塚に登って西軍の大将である豊臣秀吉の陣形を見渡した場所でもあります。この時、家康は小牧山の先取りを決意したと伝えられています。この六角形の石碑は、生駒家六代利勝が、家門の由緒と、武功を後の世に伝えるため建てたものです。別名お亀塚とも言われ、写真をよく見てみると石碑の下に亀がいます。


観光マップ~布袋駅から~

①布袋駅     ⑥経塚

②廣間家の門  ⑦龍神社

③生駒屋敷跡  ⑧宝頂山墓地

④久昌寺     ⑨富士塚

⑤神明社

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